花のメッセージ・・・野苺「私をいちごと呼ぶのなら….」
しあわせの花咲くコーチングのMITO です。
花からのメッセージを、
写真と一緒にアップしています。
あなたの感性で受け取ってもらえると嬉しいです。
昨日は、久々に恵比寿ガーデンプレスを歩きました。
【日曜の昼下がりで人多し!なのに一瞬誰もいない一枚(笑)】
6月の雨に濡れて、生き生きした木々やお花たち!
恵比寿の植栽や花壇は、どことな〜くオシャレです。
さて、私も雨の中を傘をさしながら、お花と遊ぶ〜
今回のメッセージは、
あら!お花ではなく、花壇の小指の先ほどの小さな「野いちご」でした。
野いちごのメッセージ(夏至の祈りに寄せて)
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私を「いちご」と呼ぶのなら、全部をそう呼んで下さい。
もしくは・・・名前はなくてもいいのです。
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名前は便利なものですが、
「隔てる」という罪もあります。
私という存在が際立てば際立つほど、
「違い」が生まれ、
私という存在を大事にすればするほど、
「分離」が生まれ、
私という存在を唯一無二だと思えば思うほど、
「孤独」が生まれる・・・
そんな危うさを秘めています。
もし、私を「いちご」と呼ぶのなら、
私のこのか細い軸も、
雨に濡れた葉も茎も、
あなたには見えない根っこも、
根っこと繋がっている大地をも、
「いちご」・・・と呼んで下さい。
むしろ名前を呼ばないでくれたなら、
私は私でありながら・・・そして全てでいられます。
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私は半世紀以上を、私の名前の美登子で生きてきましたが、
はて?名前を持たない感覚って、
どんな感じなんでしょう?
確かに存在はしているけれど、
名前を持っていなかった体験と言えば、
母のお腹の中の十月十日と、
誕生して命名されるまでの、長くても2週間くらいの間。
その時は、存在しているのに、
まだ誰でもなくて・・・
誰かである必要もなかった時間。
母とも、父とも、兄弟とも、ご先祖様とも、
万物とも丸ごと溶け合っていた時間。
6月21日の夏至の日は、
そんな不思議な時間と空間を思い出してみるのに、
ぴったりのように感じます。
古代から、
特別で神聖な日として扱われてきた夏至には、
自分の名前を手放して、
ただ・・・地球に在る一人の者として、
森羅万象に感謝の祈りを捧げるのに、
最良の日!
皆様もどうぞピースフルな1日を、
過ごされますように
MITO
【恵比寿ガーデンプレスの花】
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